─70周年を迎える年に、東日本大震災や、それにともなう福島第一原発の事故など未曽有の災害が日本を襲いました。

なにより、今回の震災で被災された方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復興を願わずにはいられません。当社もD I S の仙台物流センターが被災しましたが、現在は復旧しました。ただ、お客様の中には震災による被害で操業が滞っている企業があります。また、原材料確保でも影響が出ています。まだまだ震災の影響に予断は許せません。

 

─そんななか、創立70周年を迎えました。

昭和16年に紡績4社統合で生まれた当社ですが、70年の間に祖業である紡績業を取り巻
く環境がどんどん厳しさを増していきました。その中、当社は紡績業から繊維素材・製品メーカーへと脱皮し、現在の形を作り上げたことになります。そして、本年、オーエム製作所がグループに加わりました。同社の長岡・宍道の2工場のうち宍道工場は、当社の前身である出雲製織の紡績工場だったところです。こうして、分離独立した企業が、再び結集したことになります。これもひとえに、各事業をこれまで育てて頂いた諸先輩方のおかげです。記念すべき70周年という年に、社長の任に当たる喜びと責任の重さを感じています。

 

─ダイワボウグループが今日のように変貌できた秘訣はどこにあったのでしょうか。

繊維事業については、紡績会社のなかでも早くから「選択と集中」を進めたことです。
また、海外展開、例えばインドネシアには40年前に進出しましたし、紡績業から繊維製品事業への改革でも、取り組みは早かったと思います。時代の変化にうまく対応できたわけです。I T インフラ流通事業は、今では国内最大級の事業規模を誇っていますが、当初はなぜ繊維会社がこのような事業を行うのかと懐疑の目で見られていたのではないかと思います。当時のリーダーたちが奮闘して、新しい市場に受け入れてもらった成果です。そこでは“顧客志向”“融合”“人との繋がり”を重視するダイワボウの社風が生きたといえます。

 

 

 

─オーエム製作所の完全子会社化でグループの基盤作りも一段落となったわけですが、改めて狙いをお聞かせください。

一般消費財と工作機械などインフラ需要はズレがあるのが当然です。また、選択と集中を進める中で、新事業への参入と言っても、従来の事業が力ある状態の時に同時並行で進める必要もあります。従って、グループ全体として安定的で強靭な筋肉質の企業体を作り上げるには、いくつかの事業の柱を有している必要があるのです。
また、市場の変化のスピードが増すなか、例えば海外進出に10年を要するようでは、ビジネスチャンスはいつまでたっても巡ってはこない。大事なのはスピードですし、人材なのです。このために、繊維で培った経験や人材を共有すれば、製品群の違いはあるかもしれませんが、必ずや成功に導くことができる。今回、70周年の年にI T インフラ流通事業、繊維事業、産業機械事業という“三本の矢”がそろったことで、100周年に向けて新たなスタートを切る基盤作りができたといえます。

 

─D I Sとの経営統合以来、グループの雰囲気も変わってきました。

互いに大きな変化が生まれています。I T インフラ流通事業は、若いスタッフが中心の事業です。これまで彼らは、ディストリビューターとして多くのノウハウを蓄積してきました。その彼らも、メーカーとして物を販売する姿をグループ内で見ることができます。そこから、新しい発想が生まれてくる可能性があります。また、繊維事業は現在、衣料品・生活資材事業が6社、化合繊・機能資材事業が4社の主要事業会社がありますが、これら事業会社間で差別化素材の相互利用が急速に進みました。これもD I S と統合したことが刺激になったのでしょう。D I S に負けないよう「繊維事業」としてチームで取り組もうという機運が強まりました。こうした好影響がグループのいたるところで出てきました。各事業が、良いところは残し、改善すべきところは改めていくことで前進していくことが大切です。後戻りは許されません。

 

─ “三本の矢” がそろったグループの将来像をお聞かせください。

各事業の相乗効果が想像以上に発揮される可能性もあります。例えば産業機械事業は現在、海外展開の加速が大きなテーマです。そこに繊維事業が培ってきた海外の事業インフラを活用するとどうなるか。例えばインドネシアをハブにアセアン市場での販売を進めるといったことが可能になります。また、ブラジルに展開することもありえるでしょう。さらに、繊維事業も、従来は海外子会社が生産拠点として存在してきました。しかし今後は、旺盛な内需を背景に現地での販売に軸足が移っていきます。商品も衣料品だけでなく、機能商品やメディカル製品にまで広がっていきます。3事業とも、こういった様々な可能性がありますから、それが成功すれば、想像以上のスピードで事業規模が拡大しても不思議ではありません。

 

─ “三本の矢” は、国際マーケットを目指すわけですね。

そのとおりです。すでにマーケットを国内と海外で分けて考える時代ではありません。タブレット端末の世界的普及、新興国での富裕層・購買層の拡大、生産拠点の再配置によるリスク分散、貿易協定の締結など、従来の価値観を大きく揺さぶる時代となってきています。この社会の変化を敏感に感じ取り、真に必要とされる製品を、必要とされるところに届けることができるか。繊維を起点とした会社だからこそ、どんな事業でも海外を意識しなければなりません。いずれはどのような形にせよ、その物量とスピードにおいて海外勢の攻勢を受け、衰退してしまう国内型企業で終わってしまうとの危惧を有しています。
そのためには国際マーケットに対応できる人材の育成やローカルスタッフの活用などがますます大切になってきます。それに、女性の幹部登用も進めていきたいですね。
70周年を迎えた今年、新たな未来へとスタートを切る足がかりができました。今後も、当社を取り巻く環境は大きく変わっていくでしょうが、常に変化を先取りし、株主をはじめとしたステークホルダーの皆様の満足度を高めていくことを目指します。いままで以上に温かいご支援とご指導をよろしくお願いいたします。